「男系男子」限定ルールの歴史は明治以来、僅か百年余り。
明治の皇室典範に史上初の「男系男子」限定という
窮屈なルールが採用された時、それを維持する為に
“不可欠”の前提とされたのは、古代以来の側室制度だった。例えば、奥平康弘氏『「万世一系」の研究ー
「皇室典範的なるもの」への視座』に「『女帝(女性天皇)の否認』と『庶系(側室から生まれた
非嫡出子・非嫡系子孫)天皇の容認』とは、ウラとオモテの
関係にあった」「男系・男子主義を貫きながら、しかも
『皇胤(こういん=皇室の子孫)繁栄』論があり得たのは、
天皇家が嫡出子主義に固執せず、まことにおおらかに
(側室から生まれた)庶出の男子にも皇位継承可能性を
開いていた制度があったからだ」などの指摘がある。
しかし、それはとっくに排除された。
そもそも側室の存在は、「男系男子」限定ルールよりも
遥かに古い由来を持つ。
古事記・日本書紀が伝えるところでは、初代・神武天皇の時点で
既に正妻(記=「大后」・紀=「正妃・皇后」)以外の“妃”を
確認できる。まさに“側室二千年の伝統”と言えるのではあるまいか。
しかし、「男系男子」ルールの絶対死守を叫び、
前例・先例、“古来の伝統”の硬直的な維持を唱える人々の中から、
“側室の伝統”復活を訴える声はほとんど聞こえて来ない。
さすがに無理だと分かるのだろう。それなら、側室と「ウラとオモテの関係にあった」
“男系男子”限定ルールもそれに劣らず無理、と
分かりそうなものなのだが…。追記
〇「女性セブン」2月9号(1月26日発売)に敬宮殿下の
ご文章・4編が載っている。この記事は好企画。
〇新刊の鈴木貫太郎氏『ルポ 日本の土葬』
(合同会社宗教問題)を恵送戴いた。著者及び版元に感謝。
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